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【手わざを訪ねて】Vol.6 池田充章さん/ガラス作家 

更新日:8月15日

当社運営のミュージアムショップでお取り扱いさせていただいている作家さん、職⼈さんの⼿仕事にふれる読みものです。

 

今回は、富山市在住のガラス作家・池田充章さんをご紹介します。富⼭市ガラス美術館ミュージアムショップにて常時作品を扱っており、富山のガラスシーンを牽引する代表的作家のお一人です。


ガラスとの出会いや作品作りで大切にしていること、この先挑戦したいこと、そして数少ない富山市生まれの作家として富山のガラス作家たちにどんな未来を期待しているかなどを伺いました。

意外にもシャイな池田さん、顔出しNGとのことで動画は音声メインになりますが、ぜひご覧ください。


−ガラスを始めたのはいつですか?

23歳ですね。

私は高校球児で、甲子園にあこがれて野球をやっていたんです。そのせいか、汗をかいて仕事がしたいっていう思いが漠然とあって、なにかしら体を動かして物作りするイメージを持っていました。

18歳の時に、富山にガラスの学校ができるというニュースを見て興味を持ったものの、完成するのは3年後。手に職をつけるのが流行っていた時代でもあったので、まずは母校の隣にあった歯科技工士の専門学校に通って、歯医者で働いていました。

小さい頃から器用な方でした。スポーツ、美術、音楽など得意だったので、井波で木工職人もいいなって思ったんですけど、家を出て修行する気がなかったんですね。歯科技工士をしているうちに富山ガラス造形研究所が開校し、次の年に試験を受けて入学して、ガラスを始めました。


−器用でなんでも得意だったにも関わらず、ガラスを選んだのはなぜですか?

私の実家が海の近くの酒屋だったんです。だから当時は醤油、日本酒、ジュースなどガラス瓶がいつでもそばにあって。子供の頃はサイダーの瓶を割ってビー玉を取り出したり、海に行ってシーグラス集めたりして、なんとなくその美しさや質感に惹かれていました。

そのうちにスーパーやコンビニが増えて、昔ながらの酒屋がどんどん閉店していく様子を見ているうちに、ビールを買ったお客さんにガラスのコップをプレゼントできないかなぁと考えたんですよね。

ちょうどその頃、女優の名取優子さんが出演していたオロナインのCMで吹きガラスの回があって、熱いなかで汗をかきながら作家さんがガラスを作っている様子を見て、“ガラス制作ってこんな感じなんだ”って印象に残っていたんですよね。それで自然と、「家業」と「汗をかきながらできる仕事」と「ガラス」の3つが結びついた感じです。


−ある種、必然のような感じで、ガラスを始められたんですね。

作品を作る時のこだわりや思いはありますか?


木や鉄や石のように見えるとか、ガラスらしくない質感にこだわるとか、若い時からいろいろなことをやってきましたが、結局ガラスらしさに戻ってきたんですよね。

日々、ガラス制作をしていると、見えないものが見えてきたり、想像できないことが起きたりするんです。例えばこの作品みたいに、見る角度によって泡が3つになったり4つになったり…。そんなエピソードをお客さんと語り合いながら、お客さんが気に入ったものをお買い求めいただきたいと思っています。若い時から、お客さんがどんな笑顔をみせてくださるか、想像して作るってことは変わらないですね。

すべて自分の内面が作品に出ますから、繊細ながら何か芯のあるものを作っていたいと思っています。


−ガラス以外の素材を使ってみたいと思うことはありますか?

漆や鉄みたいに見える表現をしたこともあるけれど、異素材はあまり使ったことがないですね。今って秘密がなくなっちゃったでしょ? インターネットがあるしYouTubeもある。人の作品や作るところを見れば、100回が30回でできる時代。考えて考えて考えて…、頭使って、悩んで、捻り出している人の方が、+αが出てくるんじゃないかな。伸びていくように思う。それが探求なんじゃないかな。

だから、対象はガラスだけですね。でも、探究もしたいし、作品販売もしなきゃだし、難しいですね。


−作品を作る上で、惹かれる形や好きな色はありますか?


こんなこと言ったら恥ずかしいけれど、なんか花っぽくなるんです。形は花や葉っぱなど自然界のものが多いかな。色はワインレッドですかね。15歳の頃、最初に買ったレコードが安全地帯の『ワインレッドの心』だったからかも(笑)。


−今後、挑戦してみたいことはありますか?

今まで良いと思った作品を全部作り直したいですね。

例えば、若さゆえの荒削りさを、今だからこそ探求して洗練して、そこからまた新しいものが出てくるんじゃないかなぁって思います。昔は、自分の技術に満足しちゃってましたよね。探究が足りなかった。

例えば、吹きガラスって回転体なんですけど、回転体でできる作品は何か違うって思うようになったんです。型でつくるキャストは硬いけれど動きがある。でもホットワークは回転体だから、いくらずらそうとしても軸が立ってしまう。軸の入るつまらなさから脱却できるかどうか、なんてことを以前から考えています。この歳になって、何百個、何千個作ったから気が付いたんですけどね。

やりたいことはいっぱいありすぎてキリがないです。薄くて繊細なガラスを制作したいですが、それだと販売しづらい。そのバランスが難しいですね。あと、SNSはやらないといけないなぁと思いますが、どうも苦手で取り組んでいないんですけど、ああいう努力はやらなきゃいけないと思います。


−今後、富山のガラス作家たちにどんな未来を期待していますか?

長くやってきて、もう、お父さんの目線です。

「富山ガラスは今後、どうなっていくのかなぁ」

「数十年後はどんな作品作っているのかなぁ」

って。若手作家の様子を見ながら、自分も創作していく余裕も生まれたと思います。

元々が野球部だから、ついダメ出ししちゃう癖があったんですけど、いまはそういう時代じゃ無いしね。その子にとってプラスになるアドバイスをできたらなぁって。

悩んで、迷って、苦労している子には、力の抜き方を伝えたり、一旦そこから離れてみたらと伝えたり。技法的なことよりも、不安になって行き詰まっている時に、それでも続けていく希望になるようなことを伝えたいです。

独立に関しても、窯を持つと本当に大変だけど、その苦労が絶対に作品に反映されるよ、とかですね。富山を背負っていってくれる子になってくれるかなぁと思いながら、応援しています。


富山ガラスはまだ30年。その30年で、富山ガラスの知名度が全国区となり、富山のガラス作家の全員が安定していけるってところまできていないのは、私の力不足です。

それでも、ミュージアムショップと協業して、良いものを作っているけれど販路が少なかった作家の作品も、店頭に並べる仕組みを作ることはできました。ショップが売上やお客様の反応を作家に報告してくれるから、自分の作品を客観的に分析できて、とても励みになります。店頭に並ばないことには、売れる作品かどうかもわからないですから。こんな取り組みができるようになったことは、素晴らしいと思っています。

今の富山のガラス作家は、ほとんど県外からの移住組。彼らの子供の時代、富山生まれの子どもたちが大きくなった時、「ガラスの街・富山」がどう発展しているか楽しみです。もう少し、自分にできることを頑張りたいですね。


 

先駆者とは、時に得することより損することの方が多いものですが、その功績は偉大です。池田さんの取材を終えて、富山市生まれだからこそ、富山ガラスの未来を思う稀有な存在であることが伝わってきました。

池田さんはもちろん、富山ガラスが今後どのような展開をしていくか、数十年単位でこれからも見ていきたいと思いました。


【池田充章さん経歴】

1994    富山市ガラス造形研究所 造形科修了

1994-1997 富山ガラス工房所属

1997    GLASS STUDIO C.R.設立(窯元として独立)

2012− 富山ガラス作家協会 共同代表

2013− 富山ガラス造形研究所 公開事業実行委員会 会長

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