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【手わざを訪ねて】Vol.2 佐々木俊仁さん/ガラス造形作家②

更新日:2023年10月17日

当社運営のミュージアムショップでお取り扱いさせていただいている作家さん、職人さん手仕事にふれる読みものです。

 

●佐々木俊仁さんHP「S glass studio」

 

思い通りにならないガラスのおもしろさにハマった!


「僕、乗り物好きでね、バイクの整備士になりたかったんですよ」

突然の独白! それがどうしてガラス職人に?  ということで、短大時代のガラスとの出会いからお話を伺いました。


多趣味の佐々木さん。ショップには様々なアイテムが作品とともに飾られています


佐々木さんが通われていた高校には、美術の授業として轆轤(ろくろ)や七宝などを学ぶ時間があり、その授業態度を見ていた先生が推薦してくれたのがきっかけで、秋田公立美術工芸短期大学へと進学。そこでガラスと出会います。


「ネイティブアメリカンジュエリーを作りたいと思って入学したのに、先生に『うちはアート教えてるから、そういうのは教えないよ』って言われて、最初からつまずいちゃって。 でも喰らいつかないと、って思って選択したのが、ジュエリー・漆・ガラスだったんです」


飴状に溶けたガラスは、常に竿をくるくると回していないと、あっという間に垂れてしまいます


3ヶ月ごとに順繰りに授業を受ける中で、ジュエリーも漆もしっくり来ず…。 しかしガラスは違いました。 なんといってもまず手で触れない。動きを止めると下に垂れたり、いびつな形で固まったり。少しでも竿の手前に触れれば、熱っ!と火傷。なんなんだこれ!未知すぎる!おもしろすぎる! 気がつけばガラスのことばかり考えるようになっていたそう。


2年次から本格的にガラスの道に進みますが、短大なので同時に就職を意識しなければなりません。栃木県日光市にある個人工房からの求人に応募し、無事就職が決まります。


栃木から富山へ。今の作品作りの原点、裂織りとの出会いも


日光東照宮のすぐそばにある工房での仕事は、8〜9割がガラス製作体験のお客様の対応。観光地ゆえ元旦でも体験予約が途切れず、繁忙期には1日30人を相手にすることもあり、目がまわるほどの忙しさでした。しかしガラスに触れているだけで幸せ、という佐々木さんの日々の喜びはお客様にも伝わるようで、

「佐々木さんを見ていたら、一回諦めた夢をもう一度追いかけようと思いました」

なんていう、ファンレターをもらうこともあったとか。 ガラスを通じて人と繋がり、世界が広がるおもしろさに目覚め、将来は自分で窯を持ってガラス工房を作ろう! と決意したのはこの頃のことでした。


時を同じくして、他界されたお祖母様の嫁入り道具だった桐箪笥をもらいたいと思い、実家に帰省した時のこと。中身を整理していて、南部裂織(なんぶさきおり)と出会います。


ショップに飾ってある南部裂織。赤、青、黒、ピンク…様々な布が織り込まれています


「田舎なんで、家のすぐ周りに土器や石器が落ちているような環境で育ったんです。幼いときに家の近くで拾って、“うわー!いつ誰が作ったのかも判らないのにカッコいいってすごいなぁ”って感心して。それと同じような思いを裂織にも感じたんです」


畑で拾った石器は、今でも宝物のひとつです。小さくてもパワーを感じます


南部裂織は、着古した着物を細く裂いて横糸に用いた南部地方(青森県の東半分、岩手県北部から中部、秋田県北東部の一部)の伝統工芸で、古いもの、使わなくなったものを新たに生まれ変わらせるアップサイクルの原点ともいえる織物です。


折しもガラスを初めて2、3年。

透明なガラスに「佐々木俊仁」を宿らせることのハードルの高さに気がついた時期で、裂織のように何十年、何百年も経った後でも、見ず知らずの誰かの心を動かすような作品ってどうすればできる? と心の奥に焦燥感のようなモヤモヤが生まれたのです。


小さな出来事は重なります。

短大時代に講師として教えに来てくれた富山ガラス工房の先生が、「俊仁はいつ富山に来るんだ?」って言っているよと、周りの同級生や工房の助手さんから何度も聞かされ…。


「いつかは富山で学んでみたいなぁ、とは思っていたんです。 でも、挑むにはまだ早すぎるかなと思って、栃木に就職したんですが、でも先生が声を掛けてくれるのが嬉しくなって、思わず『来年は富山に行きたいです』って、工房に伝えちゃったんです」


3年契約のところを1年半で辞意を伝えたため、烈火の如く怒られますが、なおさら後に引けなくなり、「辞めます!」と宣言。 ガラスやるなら絶対富山だ!と、自分を高めるために富山行きを決意します。


富山ガラス工房。富山市のガラス工芸産業の振興を目的に、 人材育成・自立支援・普及啓発を行なっています(画像提供:富山市観光協会)


とはいえ、富山ガラス工房に自分の席が用意されているわけではありません。受験に臨み、なんとか翌年春からの所属を許されたものの、作品に「佐々木俊仁がない」ことを指摘され、オリジナリティの必要性を痛感。壁にぶち当たったまま栃木に戻ったのでした。


ポートフォリオに載せていたのはレースガラス。この美しさはガラスの 美しさであって、自分の手わざではないことに気が付きます


好きと嫌い、やりたいとやりたくないを突き詰めたら、 「時の花」に辿り着いた


失意の手元にあるのは、おばあちゃんの南部裂織。 こういうのが作りたいけれど、布を形にする術がない…。

そこで、富山ガラス工房受験の際、ポートフォリオを作るために買ったカメラで、とにかく琴線に触れたものを片っ端から撮っていくことにしました。撮影したものを見ながら、好きなもの、嫌いなもの、やりたいこと、やりたくないこと、どうして気になったのか、どこに引っかかったのか、徹底的に書き出します。

苦悩の日々を振り返る佐々木さん。しかしそれが、 自分ですら気が付かなかった自らの本質に近づく道でした


日光の工房では、週に数時間しか与えられてなかった個人制作の時間すら、契約違反のために取り上げられていました。作品を作る時間はないが、考える時間だけはたっぷりあるー。頭の中にあることをすべて書き出し、好きなこと、表現したいことを具体化していきます。


日中の工房での仕事も、どうせ辞めるんだからと投げ出さず、恩義に報いようと懸命にこなしていると、やがて親方から制作を再開していいとの赦しが出ます。


「すごく嬉しかったですね。その時間を経て、頭の中で考えていたことが初めて形になったのが、最初の「時の花」です。これなら自分の作品って言えるんじゃないか、何十年、何百年後の人が、ナニコレおもしろい!言ってくれるんじゃないか、やっとそんな作品ができたかもって思いました」

プロトタイプの「時の花」。だいぶ厚みと重みのある作品ですが、 その分佐々木さんの想いの丈を感じられます


今とは削り方も、ドットや柄の出方、仕上げ加工の仕方も違う、とにかく色つけて削ったという作品ですが、これを今の「佐々木俊仁」として携えて、富山ガラス工房へ旅立ちます。


 

<ショップからひとこと>

富山市ガラス美術館ミュージアムショップでは、富山市在住のガラス作家・佐々木 俊仁さんの作品を、2023年9月1日から11月29日まで期間限定販売しています。

佐々木さんの作品は、富山市ガラス美術館のオープン当初から扱わせていただいており、人気の高い作家のおひとりです。色彩豊かで、軽やかさと存在感のある作品をもっと見てみたい! と思い、展示会のお声掛けしてご快諾いただいたのが去年の11月のこと。それから作品作りをお願いし、このたびの開催にこぎつけました。

佐々木さんの作品作りの様子やガラスに向ける想いに触れていただき、期間限定販売に足を運んでいただけたら嬉しいです。


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